くるりの

 「Go back to chaina」が大音響で響く部屋。雨の日は、かなりご機嫌。

 昨日は用事があり鶴岡へ。
帰りに山形のぷらっとほーむへ寄る。夜行性を何とかしなければと思いつつも、夜中まで。
ぷらほHPの「フリースナック愛」で爆笑。案の定今日は眠い。学習能力の欠如がうらめしい。
 しかし、愛ちゃんが発する言葉の機関銃はさすが。心地よくて、積極的に撃たれてみる。


 過日行われた日曜ゼミ。山形市内の公民館で7名の参加。
 内容は、『結婚について』と『隠される労働の疎外』について。

 結婚については、家族の問題も絡んでとても面白い。結婚・子育て・家庭生活が癒着している現状。
外的な諸要因、歴史・文化・国策によって形づくられるイメージが自分を規定しているんじゃないだろうかと。

 私自身、聞きながら自分の立ち位置の明確化と、オルタナティブな家族観を提示する作業が必要だと思う。
 誰もが身近なテーマだけに、沢山の人と共有できる継続的なテーマで面白い。
 自分的に、住み方暮らし方も含めて考えなくちゃなと思う。


 労働の疎外について。
 レジュメのボリュームがすごい多い。発表の途中意識を失いかけたので、本日もう一度読んでみる。
 まず、論旨が明確。単語の意味がわからないなりに読めてしまう。文脈の組み立てがさすが。批判されることを前提として書かれているのだなと感心。こうした論文の組み立てを私も学ばねばと思う。
 
 内容については、考えかたとして違和感がある場所について、どう質問してよいのか迷ってしまった。
 滝口氏に聞くと、「とりあえずその箇所の意味を細かく問うてゆくこと」とのこと。議論する側も、思考を深めるためのトレーニングが必要だ。


 こうしたゼミをしながら感じることは、言葉や論旨の漠然とした好き嫌いという感情的な視点での意見は、容易に思考停止を招くので止めよういうこと。
 せっかく同じテーブルにつくのであれば、同じ目線で言葉をつなぐことに集中しようと思う。
 感情と思考の癒着や、言葉に対するスタンスの癒着、それらべたっとしたものから自分を解放したくて日曜ゼミに参加しているのだった。

 身体の自由。思考の自由。いつのまにか自分が自分を縛っちゃってる場合だってある。

 悟りの(笑)境地までは、まだまだ道のり遠いなあ自分。