セミナー報告

先週の土曜日、お仕事での講演会があった。
講師はオムロンシンクタンク(次世代研究所)HRIの主任研究員
の中間さん。
http://www.hrnet.co.jp/html/basicidea/index.html


 中間さんとは、野外教育関係でお世話になっている野外計画代表の
八木さん(CWニコルとそっくりのおやじ)
http://www.yagaikeikaku.com/
を介して、以前から知っているのでとても気安い。
人文社会系の研究者とは思えない軽いノリで、今回も颯爽と登場。


 講演テーマは「学び」について。
教育系の講演会は、往々にして講師の主観的な教育論で語られることが多い。
しかしながら中間さんのレジメ(パワーポイント)は客観的に整理され、
教育分野と関係ない人でも理解できるようなスマートさ。
伝える内容はどんなに難しくてもいい。
また内容のレベルを落としたら講演の意味が無い。
伝え方にどれだけコストを払えるか。それだけなんだと思う。


 問題とは何か?
意訳して問題の定義をすれば、問題とは、理想と現実の間にあるギャップのこと。
とすれば、問題解決をするということは、そのギャップのパターンを知ること
□目標も現実も分かっているが、ギャップを埋める方法がわからないのか?
□目標(理想・理念)が無く、現実ばかりを追い求め方向を失っているのか?
□はたまた、理想ばかりが肥大して、現実認識ができていないのか?


 学びとは、大量の情報を生み出し享受させられる状況のことではない。
人間の中にある成長プログラム(と仮定されるもの)にそって、ブロイラー
のように環境を食物を情報を与えられることではない。
(それは学校のような閉じた空間、閉じた時間、閉じた人間関係の中での
営みをさすように感じるが)


 プログラムを、主体的に選択する環境によって、具現化する『過程』
それが学びでしょうと。人は集団で生きてきた動物。だとすれば、
開いた環境で、人と交わりながら、主体的に影響する「もの」「こと」を選択し、
自己の遺伝的プログラムを具現化してきた『営み』それが本来的な学びなんじゃないのと。

だから、学校のような限界のある学びは学びといえるのかと。
空間的、時間的、人的意味合いが、かなりパラレルするわけです。


中間さんから聞いて面白かったのは、最近トヨタや三菱といった車両関係の大企業が、
一様に機械工学的近代化社会は終焉を迎えると考えており、次世代への展望をHRIに
聞きにくるケースが増えたとのこと。


工学化社会形成に貢献してきた(または、担ってきた)上記企業が、
現状のままスライドしていく社会の展望を描けず、次世代は、人間主体の
生命論的社会へとパラダイムシフトすると予測立て、企業の運営内容を
変更しようとしていること。


そういえば、キリンもメセナ的に教育研究所を設立したというし、2007年には、
日本近代化を担ってきた団塊の世代がガバッと定年を迎えるし、
世の中、何かしら変化するねきっと・・。


とかなんとか、期待もこめつつ、思ったしだいです。
HRIでは11月2日(水)に無料の講演会とワークショップを行うということ。
人出がいまいちとのことでご興味のある方、お近くの方は是非ご参加ください。
http://www.hrnet.co.jp/html/event/forum_051102.html


おとといも温泉。昨日も温泉。
おんせんざんまいです私。(ごめんなさい)