原稿さまざま

 今週は締め切りに追われています。
①職場の労働組合の冊子に演劇紹介を一つ。
高畠町で売りだされる特産品の紹介(筆字で)を一つ。
③ほんきこ。のコラボ小説を一つ。


労働組合の冊子は無事終了。原稿を記載しました。↓
②高畠のは、「はなうたライブ」の時のチラシをみた協会の佐藤さんから、
 同じ雰囲気でと依頼を受けて2年目。苦戦中。
③ほんきこ。は、八分がたできたけど、長くなりすぎて終わらせられなく
 なっていてこれも苦戦中。


ということで仕事以外の忙しさがあるからこそ、気持ちを張っていられるありがたさがありますね。



市職労報掲載 2006.6.19作成

野田秀樹「赤鬼」紹介

小さな島の海岸沿に、小さな村がある。互いに知らないものがいない。いわゆる密室のような共同体だ。海岸には沢山の漂流物が着く。加工されたガラスのビンや、異国の言葉が書かれた容器など。けれど、村人の誰一人として、島の外の世界をみたものはいない。また、みようとする者はいない。異世界への恐れと憧れ。そんな閉塞感のあふれる村にある日、異国の男が流れ着く。その昔、外国人を鬼と呼んだように、その男は「赤鬼」と呼ばれ、村人から排斥される。

野田秀樹の作・演出で「赤鬼」という演劇を観た。野田秀樹は、東京大学演劇部を経て劇団「夢の遊眠社」を主催。80年代バブルの時期に併せて、それまでマイナー・アングラと呼ばれた日本の演劇を、華やかな表舞台へと導き、商業として社会に位置づけた。彼の演劇に特徴的なものは、役者の肉体。舞台上で役者たちは、とにかくよく動く(動かされる)。台詞のスピード感と役者の運動量。台詞の感情表現だけに頼っていた昔の演劇とは違い、役者と観客が、見る見られるの使役の関係を超えて強烈に対話させられていく。「赤鬼」では、出演する役者はたった4人だ。けれど役者によって10人以上の村人が演じ分けられる。

 
赤鬼は村人から恐れ、排斥されるが、知恵遅れのトンビとその妹、そして妹にいいよるミズカネの3人は、赤鬼を人間として受け入れようとする。村人に「あの女」としか呼ばれない変わり者の妹。けれど彼女は、次第に赤鬼の言葉を理解し彼の文化を受け入れていく。一時幸せを得たかに見えた赤鬼だったが、異分子に対する恐怖はいつしか暴力的なものとなり、赤鬼とトンビ、妹、ミズカネは新たな世界を求めて海へと漕ぎ出すが・・・。


この物語の最後は悲劇で終わる。最後まで希望を持ってみている観客も、ラストシーンで言いようの無い喪失感を味わう。けれども、この物語は、共同体における異文化への反応を、寓話の形をとって鮮烈に描き出す。私たちは、排斥の歴史を繰り返し生きているではないか。在日、北朝鮮アイヌ、オウム、障害者・・・、マイノリティーへの恐れと差別感。この日常に、普通に暮らしていると思っている私たちは、実は、「赤鬼」を排斥する村人として機能してしまってはいないだろうか。地域共同体という箱の中で、私たちは虚勢され、多様性を奪いとられてはいないだろうか。対話の放棄からうまれる悲劇。「赤鬼」という作品は、私たちの心の在り様を、静かに問いかけてくる。